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評価:
レイモンド・チャンドラー
早川書房
¥ 1,785
(2009-04-15)
コメント:さまざまな立場で描かれる「愛」のかたち。胸が、少し痛む。
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レイモンド・チャンドラー著「さよなら、愛しい人」読了。
村上春樹氏による「さらば愛しき女よ」の新訳版です。
主人公は私立探偵フィリップ・マーロウ。
「しっかりしていなかったら、生きてはいけない。
やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
の台詞で有名な、ハードボイルド小説の元祖です。
僕は昔からチャンドラーの作品が好きだったのですが、
一方でハードボイルドというジャンルに、いくぶんコメディな匂いを感じ取っており、当時マーロウをネタに友人とジョークを交わしていたものです。
久しぶりのチャンドラーだったのですが、
僕も年を重ねたからでしょうか。
以前とはかなり違う印象を抱きました。
この作品のマーロウは(おそらく)30代と思われます。
いつの間にか、同年代になっていたのだ。
L.A.の街をさまよう私立探偵。
やくざな世界を生き抜くタフガイで、
警官に小突き回され、危機に陥ろうとも常に沈着冷静。
さらりとシニカルな台詞をはいてみせる。
そんなマーロウ像を抱いていたところ、
のっけから大男に肩を強くつかまれ、腕がしびれて力が入らなくなったり、
280段の階段を登って息が切れたりと、何とも人間味溢れる描写が目につきます。
極めつけは、何者かに首筋を殴られ、気を失った後。
20分間の眠り。けっこう長い眠りだ。とりわけそれが冷え込んだ夜の、戸外での眠りであれば。私はがたがた震え始めていた。
私はまだ両膝をついたままの格好だった。
(中略)
私は歯を食いしばり、吐き気をなんとか喉の奥に押し返した。冷たい汗が塊になって額に浮かんだが、それでも身体はがたがた震えていた。
(本文より引用)
非の打ち所がないタフガイの姿は、そこにはない。
あるのは、打ち据えられて、くたびれて、それでも弱音は吐かないぞ、とやせ我慢している、一人の人間の姿です。
かつての僕は、そこに可笑しさを感じていたのですが、
今はマーロウの気持ちがよく分かる。
彼の強がりは、誰あろう、自分との戦いなのだ。
決壊寸前のダムを直し続けるビーバーのように、
マーロウは自分の湖を守ろうとしている。
おそらく、これまでに多くのものを失ってきたのだろう。
失った喪失感を知っているからこそ、守ることの大事さを学んだのだ。
そんな彼が、立てこもっている最後の砦が、
シニカルな態度であり、ときとして表れる気障な台詞ではないか。
「僕の商売は、困っている人が来てくれることで成り立っています。警官のところへ持って行きたくない理由があるものばかりです。僕が警官のバッジをつけたごろつきに痛めつけられて、骨抜きにされたとあっては、誰が仕事を頼みに来てくれますか?」(「長いお別れ」より引用)
荒野をさすらうカウボーイのような、マーロウの人物像。
そこに血肉を通わせているのが、チャンドラーの文章です。
的確な状況描写の積み重ね、巧みな比喩、含蓄に富んだ会話。
マーロウは、常に物事を冷静に見ています。
一喜一憂せず、ひりひりしたドライさが伝わってくる一方で、
ときに情が湧いてきてしまうアンバランスさが、実に上手い。
春樹氏の手にかかったマーロウは、少しやわらかい。
氏の作品でおなじみの「僕」に、少し通じるものがあります。
(チャンドラーの影響を受けているので、当然と言えば当然ですが)
今作品では、さまざまな「愛」を描いています。
そのせつなさに、少し胸が痛む。
ちなみに、旧訳の「さらば愛しき女よ」もとても魅力的な邦題だと思いますが、物語の意図するところを鑑みるには「さよなら、愛しい人」の方が、より深い意味を表していると思います。