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  • 2010.12.28 Tuesday
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失われた場所に、再びつぼみが芽吹くとき。癒しと再生の物語――『秘密の花園』

評価:
バーネット
光文社
¥ 840
(2007-05-10)
コメント:荒れ果てた庭園に花が甦り、子供の傷ついた心は癒される

 フランシス・ホジソン・バーネットの小説『秘密の花園』を読みました。


バーネットといえば、『小公子』や『小公女』などで有名ですが、

いずれも主人公が容姿に恵まれ、性格が良く・・・と、まるで天使のような存在に描かれているのが特徴です。


そんなバーネット女史の作品系譜から見ると、『秘密の花園』はちょっと異質な存在かもしれません。



なにしろ、主人公として登場する10歳の少女メアリときたら、

「十人が十人、こんなにかわいげのない子供は見たことがないと言った。たしかにその通りだった。肉づきの薄い小さな顔に、貧相な体格。色あせたような髪がぺたんと頭に貼りつき、表情は不機嫌そのもの」(※本文より引用)


およそ”天使”とはほど遠い描写です。

外見だけではありません。

生まれたときから世話をしてくれていたインド人の乳母を

「ブタ!ブタ!ブタの娘!」と罵倒するなど、性格的にもかなり歪んでいるのです。


このメアリが、コレラで両親をあっけなく失い、イギリスに住む大叔父に引き取られることになります。


誰一人知る者のいない屋敷で、孤独な毎日を送るメアリ。

そんなあるとき、女中から「10年間、誰も入ったことのない庭がある」と聞かされたことをきっかけに、メアリの中で、何かが変わり始めて――。




タイトルにもあるように、物語の鍵がその「秘密の花園」にあることは言うまでもありません。

ですが、花園の存在は決して絶対的な存在ではなく、むしろ日常にひそむ楽しみのひとつといった位置づけに置かれています。

バーネットが描きたかったのは、「花園を見つけたら、メアリが良い子になりました」というような劇的な”美談”ではなく、

人が少しずつ、本当に少しずつ変わっていくさまを伝えたかったのではないかと思います。


この物語にはさまざまな傷を負った人物が出てきます。

両親から顧みられず、わがままに育ってしまったメアリ。

もう一人の主人公であるコリンもまた、愛を知らずに育ちました。

彼ら、大人から見放された子どもたちが、いかに再生の道を歩んでいくのか。


バーネットは、そんな子どもたちの変化を丁寧に描いていきます。

まるでバラのつぼみが一年かけて花開いていくさまを観察するように。

そこには、同情を引くような憐憫はありません。

一朝一夕で変わるものでもありません。

でも、一日一日の積み重ねが、やがて大きなものとなるはず。


そこにあるのは、生命の力を信じる心でしょうか。

コリンは叫びます。

「メアリ!ディコン!ぼくは元気になる!そして、いつまでもずっとずっと生きるんだ!」



「秘密の花園」が奇跡なのではない。そこに花を咲かせようという行為、

失われたものを再生しようという心こそが、本当の奇跡なのです。


人生が続く限り、人はいつか立ち上がることができる。

それこそが「生きる」ということではないでしょうか。


神話的な響きたたえる幻想詩編――『妖精族のむすめ』

評価:
ロード ダンセイニ,荒俣 宏
筑摩書房
---
(1987-07)
コメント:S.H.シームの神秘的な挿画を元に生み出された幻想世界を描き出した、詩情あふれる短編集

 アイルランドの作家ロード・ダンセイニの短編集『妖精族のむすめ』を読みました。

収録作品は、


・妖精族のむすめ

・サクノスを除いては破るあたわぬ堅砦

・ケンタウロスの花嫁

・老門番の話

・女王の涙を求めて

・サルダニクの慈悲

・三人の文士にふりかかった有り得べき冒険

・バブルクンドの崩壊

・アンデルスプラッツの狂気

・海を望む峰ポルターニイズ

・ベツムーラ

・ギベリンの宝蔵

・宝石屋サンゴブリンドの平穏ならざる物語とかれにくだされた運命

・かれはいかにして予言の告げたごとく有り得べからざる都市に至ったか

・赤道の話

・オットフォードの郵便夫

・エメラルドの袋

・追剥

・ヴェレランの剣

・カルカッソンヌ

・五十一話集



表題作『妖精族のむすめ』は、樹々生い茂る自然の中にひっそりと水をたたえる沼に住む野生のものが、「魂」を求める物語です。

野生のものたちは長い間、そこで永遠とも言えるときを過ごすことに満足を覚えていた。

だがあるとき、小さな野生のものが言う。

「神を拝み、楽の音を知り、沼地の内にひそんでいる美を識り、楽園を思い描くための魂がほしいんです」

老いたものたちは、我々には魂など必要ないと諭すが、

同情した仲間たちが自然の気を集めて作り物の魂をこさえる。

魂を身につけた小さな野生のものは、人間の少女へと姿を変え、世界へと出て行く。

人間として生きていく少女が詠う歌は、聴く者の心を震わせた。ついにはオペラ歌手として舞台に立つまでになる。

しかし少女は、いつしか自分が出てきたはずの沼地を思い、ついには帰りたいと願う。

自分の魂を受け取ってくれる人がいれば、彼女は元の世界へ戻れるかもしれない。

少女は魂のない人間を見つけようと目を凝らす。

どこかにいるはずの、空っぽの人間を探して。



この世ならざるものを多く描いているという点では、ファンタジーなのかな。

ファンタジーというと剣と魔法と冒険に満ちた物語を想起させますが、

ここに収められた作品を読む限り、「ファンタジー」という括りをしてしまうことに躊躇を覚えます。

確かに剣を手にする者もいるし、大いなる旅に出る者もいる。ファンタジーにおなじみの龍が登場する物語さえある。

そこに共通するのは、神話的な世界観です。

現在進行形で語られている作品にあってさえ、遠い過去の伝承を語っているような気持ちを抱きます。


そこでは、例えば善が悪に勝つというような図式や、起承転結を整えた物語にしようという欲は感じられない。

ダンセイニの心に灯った想像力の結晶が言霊として羽根ペンを通して形作られているさまは、小説というよりはむしろ詩とさえ言えるかもしれません。

「詩は狂気のなせる業である」とは、ギリシアのさる哲学者が述べた言葉ですが、

ダンセイニの作品もまた、抑えきれない何ものかを抱えています。

彼が夢うつつのなかに描いた世界を私たちは覗き見しているのかもしれない。

それは空想の世界を具現化する「ファンタジー」というより、

やはり「幻想文学」というほうがより近い気がします。


どこへともなく旅する詩人が、立ち寄った酒場の片隅で神々の物語を朗々と詠いあげる。私たちは暖炉の炎に頬を照らされながら、その伝承に耳を傾ける――。

ダンセイニの作品は、読む者をそんな世界へと誘ってくれるのです。

それもまた、ひとつの狂気なのだろうか。


2位じゃダメなんでしょうか?――ドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』

JUGEMテーマ:F1

ドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』を観ました。


3度のワールドチャンピオンに輝きながら、34歳でサーキットに散ったF1ドライバーの記録です。

1960年生まれのセナ。今年は”生誕50年”にあたるのだとか。

50歳のセナなんて想像できないな。1994年5月1日に起きたことが信じられなかったように。



この映画では、セナがカートレースからF1へとステップアップし、そこで数々の勝負を繰り広げていくさまを時系列に紹介していきます。映像はレース中継、オンボードカメラ、インタビューなどすべて当時のものを使用しています。何人かのレース関係者による声の出演などはありますが、彼らの姿を映し出すことは一切ありません。


例えば、事故の真相を問うなど、明確なテーマは一切なし。

ライバルであるプロストとの確執は描かれますが、それとてもひとつのエピソード。

そういう意味では、これはドキュメンタリーとは呼べないかもしれない。映画ですらないとも言える。

あえて例えるならば、これは「伝記」でしょうか。

一人のレーサーの軌跡をなぞった、人生の物語です。



映画では、日本のテレビ局(フジテレビ)による映像が数多く使用されています。

これは鈴鹿サーキットで開催された日本GPが何度もドラマチックな舞台になったこともありますが、セナの人気が母国ブラジルに次いで(おそらく)日本で特に高かった証とも言えるでしょう。


確かに80年代後半から90年代初めにかけて、セナは日本におけるF1のアイコンでした。モータースポーツに興味がない人でも、セナの名前は知っていた人が多かったように記憶しています。


甘いマスク。

エンジンを供給していた日本の自動車メーカー・ホンダとの蜜月関係。

老獪なプロフェッサーと戦う一途な青年、というイメージ。

そして何より、観る者を魅了したその走り。

などなど。

要因はいくらでも挙げることができますが、

とりわけ大きなひとつとして、

今回の映画からワンシーンを紹介したいと思います。



映画の中盤、元F1ドライバーのジャッキー・スチュワートがセナにインタビューする映像があります。

スチュワートは「ちょっと厳しい質問をするよ」と前置きをしたうえで、

こう問いかけます。

「君は過去3度のワールドチャンピオンに輝いているが、歴代のチャンプの中でも事故がとりわけ多い。危険なドライバーだという認識は?」

これに対し、セナは感情をあらわにして反論します。

「レーサーだったあなたからそんな言葉が出るなんて意外だな」とセナは言います。

「僕は勝つために走っているんだ。隙があれば、そこを突くのは当たり前じゃないか」

まるで優勝以外は価値がないとでも言うように。





「2位じゃダメなんでしょうか?」

昨年、日本の政治家が発した有名な台詞です。


そう、ダメなんです。セナにとっては。

彼にとっては、一番であることこそが重要でした。

そしてその考え方は、当時の日本人の精神性にも強く表れていた気がします。

世界2位の経済大国。

「日本は世界のリーダーになるべきではないのか?」

そんな論調が、かなり大きな声で語られていた時代です。



セナは、その衝撃的な死によって神格化されてしまいましたが、

確かに危なっかしい”危険な”レーサーとする見方は今なお根強くあります。

勝利にこだわるあまり、周囲に負担を強いる鼻持ちならない奴だった、という人もいます。

その幼児性は当時から指摘されていたことです。



それでもなお、多くの日本人がセナを愛したのは、「勝つために走る」ことに愚直なまでにこだわる姿勢に、その精神性に同調したからではないだろうか。



セナを知らない世代が、彼というレーサーをどう評価するかは分からない。

だけどあの頃、僕らは確かにセナが好きだった。


ささやかな心のふれあい――読み切り短編マンガ『みなものあかり』

(C)ロマンティック・ヨコハマ


当ブログ『おやすみ、ヘミングウェイ』管理人ちまきがストーリーを手がけた読み切りマンガが、横浜の観光ポータルサイトで公開されております。


主人公は横浜のホテルに勤める女性のベル・アテンダント。
ちょっと口下手だけれど、力仕事には自信がある彼女と、
毎年秋に、大量の荷物と共に宿泊する老婦人との心のふれあいを描いたショートストーリーです。



★ロマンティック・ヨコハマ
第4話「みなものあかり」






時間SFの佳作・名作・珍品集めた見本市――時間SF傑作選『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』

評価:
テッド・チャン,クリストファー・プリースト,リチャード・A・ルポフ,ソムトウ・スチャリトクル,F・M・バズビイ,イアン・ワトスン,ロベルト・クアリア,ボブ・ショウ,ジョージ・アレック・エフィンジャー,ロバート・シルヴァーバーグ,シオドア・スタージョン,デイヴィッド・I・マッスン,H・ビーム・パイパー
早川書房
¥ 987
(2010-09-22)
コメント:SF史上に残る恋愛時間SFの表題作など全13篇を、名アンソロジストが厳選。

 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー第2弾として刊行された、時間SF傑作選『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』を読みました。


翻訳家・書評家の大森望さんが編者となって、古い作品から比較的新しいものまで全13編を収録。一口に時間SFといっても作風は幅広いため、大まかに分けて第一部はロマンス篇、第二部は奇想篇、第三部は時間ループ篇+エピローグに表題作を並べる構成がとられています。


収録作は以下の通り。


・商人と錬金術師の門(テッド・チャン)

・限りなき夏(クリストファー・プリースト)

・彼らの生涯の最愛の時(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア)

・去りにし日々の光(ボブ・ショウ)

・時の鳥(ジョージ・アレック・エフィンジャー)

・世界の終わりを見にいったとき(ロバート・シルヴァーバーグ)

・昨日は月曜日だった(シオドア・スタージョン)

・旅人の憩い(ディヴィット・I・マッスン)

・いまひとたびの(H・ビーム・バイパー)

・12:01PM(リチャード・A・ルボフ)

・しばし天の祝福より遠ざかり・・・(ソムトウ・スチャリトクル)

・夕方、はやく(イアン・ワトスン)

・ここがウィネトカなら、きみはジュディ(F・M・バズビイ)



後味にせつなさの余韻を残す、日本人好みの作品から、奇抜なSFコメディまで、さまざまな舞台・プロットで時間SFを楽しめるのが本書のウリ。賑やかな祭りの屋台を目移りしながら覗くようなもので、さながら時間SFの見本市。

この中からお気に入りの作家を見つけて、掘り下げていくのも楽しいかもしれませんね。


個人的に心に残った作品を挙げるとすれば、

まずは巻頭を飾った『商人と錬金術師の門』。

物語の中に2つの挿話を含んだ中編ですが、バグダッドに生まれ育ったアッバスという男の回想が中心です。テーマはずばり、過去との和解。

一応ロマンスの分類が冠されていますが、いわゆる男女の恋愛というよりもより大きな視点に立っているのが特徴です。人間の本質的な愛の報われなさ、業を表そうとする作家の姿勢には好感が持てます。

ちょっと文章のスピード感に欠けるきらいはありますが、この速度の緩さがラストの余韻につながることを考えれば、これで良いのかもしれません。

新進気鋭の作家、中国系アメリカ人のテッド・チャンは同じようなテーマで他にも書いているそうで、ちょっと読んでみたくなりました。


続いて、やはりロマンス物の『限りなき夏』。

ある青年が想いを寄せる少女に勇気を出してプロポーズをする。少女は近寄り、彼の手を取ろうとする。その瞬間、二人は時のなかで”凍結”する・・・。

長い年月を経て、なぜか自分だけ”凍結”が解けた青年は、あの日のままの姿で立ち尽くす少女の姿を見つめ続ける。いつか動き出す日が来ることを信じて。

著者曰く「過ぎ去りし時代への強い憧憬」を込めて書かれた作品だとか。

奇抜な発想のSFですが、過去のひとときを思い出して甘美な気持ちに浸る経験は誰しも一度はあるのではないでしょうか(恋愛に限らず)。

個人的には、このプロットをもっとぎりぎりまで突き詰めたバージョンを読んでみたい気持ちも抱きましたが、せつない余韻を残す物語であることは確かです。


3つめは時間ループものの『12:01PM』。

レコードの針が飛んで同じフレーズが繰り返されるように、時間の流れからはじき出された男が主人公。彼は12時からの1時間をひたすら繰り返す。男はそのことを自覚しているが、彼以外の人間は誰もそのことを知らない。何度繰り返せば、この時間のたまりから抜け出せるのか。強烈な無力感が身につまされます。

時間ループ映画の佳作にビル・マーレイ主演の映画『恋はデジャ・ヴ』(こちらは1日が繰り返される)という作品がありますが、本書解説によるとこの小説の作者ルポフは、映画にネタを盗用された!と当時憤慨したとか。ところが日本では筒井康隆がとっくの昔に1日の時間ループ作品を発表していたそうですから、いやはや巨匠恐るべし、ですね。



今回の作品集の作家陣を国別に振り返ると、

・アメリカ 7人

・イギリス 2人

・アイルランド 1人

・スコットランド 1人

・イタリア 1人

・タイ 1人

という分布になります。

欧米はともかく、イタリア・タイのSF作品は初めてです。


もっともタイ人の作家ソムトウ・スチャリトクルは、タイ語より先に英語を覚え、英国の大学に学び、米国で作家デビューしたという経歴の持ち主ですから、まあ欧米の系譜に位置づけてもいいでしょう。

それに比べてイタリアとSFの組み合わせって、ちょっと想像つかない。と思ったら、案の定(といっては失礼ですね)今回収録の『彼らの生涯の最愛の時』は、なんとあの某有名ハンバーガーチェーン、マックドナルド(原文ママ)で時間旅行を繰り広げるという、ある意味最もはじけた作品となっております。主人公がマックに居座り続け、ヒロインが店のトイレに訪れるのをひたすら待つという壮大な?ストーリーです。いやはや、世界は広い。


古来より語り紡ぎし物語――グリム童話集『白雪姫』

評価:
グリム
新潮社
¥ 500
(1967-07)
コメント:『白雪姫』をはじめ、シンデレラのタイトルで有名な『灰かぶり姫』『ラプンツェル』など、グリム童話の代表的作品が収められています。

 新潮文庫のグリム童話集鵯『白雪姫』を読みました。


グリム兄弟がまとめた童話23篇を収めています。

作品は以下の通り。


・小人のルンペルシュティルツヒェン

・歌う骨

・金色の子どもたち

・鵞鳥番の少女

・マレーン姫

・つぐみのひげの王様

・金の鵞鳥

・強力ハンス

・三人の怠け者

・おいしいおかゆ

・おやゆび豆助の旅

・勇ましい豆仕立屋

・賢いちびの仕立屋

・藁と炭といんげん豆

・ラプンツェル

・一つ目、二つ目、三つ目

・灰だらけ姫

・千匹皮

・鉄のハンス

・白雪姫

・金の鳥

・命の水

・こわがることをおぼえようと旅に出た男の話



特に有名なのは、『ラプンツェル』『灰だらけ姫(シンデレラ)』『白雪姫』といったあたりでしょうか。


欲にまみれた者と純粋な者を対比して描く、いわゆる「兄弟説話」をはじめ、王女や王子が数奇な運命をたどる物語、「ちび助」や「とんま」などが幸運に恵まれて成り上がるユーモラスなものまで、読む者を大いに楽しませてくれます。



グリムの兄ヤーコブは1785年、弟のウィルヘルム1786年に生まれました。

大学時代からドイツの文学などに興味を抱いた二人は、やがてドイツ童話の収集を開始。1812年に第1巻を発行したのを皮切りに、生涯をかけてこの事業にのめりこんでいくことになりました。


当初は知り合いや故郷など、身近な範囲で話を集めましたが、やがて各地方へも足を伸ばします。兄弟の基本的な姿勢は、直接聞くというもので、代々口から口へと受け継がれてきた話を記憶している本人から語ってもらいました。

興味深いのは、兄弟が話を聞いた相手が意外(?)にも、女性が多かったことです。


古来ドイツでは、町や村のさまざまな場所に紡ぎ部屋があり、そこでは女性たちが糸を紡ぎながら童話を話したりしていたそうです。そのせいでしょうか、グリム童話には女性が主人公の物語が数多くあります。

元から王女という場合もありますが、平民の娘が王子の嫁になるという出世物があるのも特徴ですよね。


女性がわいわいと集まる社交場で、「いつか王子さまと結婚できたら・・・」なんて願望を抱きながら、これらの話が語り継がれてきたのかと思うと、いつの時代でも女性の夢は変わらないのね、と何だか微笑ましくなります。



一方で、グリム童話には

「名前には威力が宿っている」

「人間の骨には死後も生命力がある」

「血液の中に人間の力と本性が宿っている」

〈本書解説より引用〉

といった信仰が根底に流れています。

物語によっては、その源流が神話にまでさかのぼるものもあり、ときには「残酷に」思える描写もあります。

兄弟は、聞いた話を童話にまとめる際、できるだけ「忠実に」書くよう心がけたそうです。作家ではなく、あくまで収集家であろうとしたのです。


グリム童話が単なる昔話にとどまらない、今なお野性味を感じさせる生々しさに満ちているのは、そうした兄弟の姿勢によるところが大きいでしょう。



弟ウィルヘルムは1859年に、兄ヤーコブは1863年に亡くなりました。

しかし、これら童話があるかぎり、彼らの一部は今なお生きているのです。話を語り継いできた、多くの祖先たちと共に。


人生の道半ばで見失ったものを探して――『ラストリゾート』

評価:
J.パトリック ルイス
BL出版
¥ 1,890
(2009-09)
コメント:サン=テグジュペリ、人魚姫、エイハブ船長・・・。何かを求めた人たちが集う、海辺のホテル。

 絵本『ラストリゾート』(文:J.パトリック・ルイス/絵:ロベルト・インノチェンティ)を読みました。



中年の域にさしかかった画家が主人公です。

彼はあるとき、カンバスを前にして筆が止まってしまいます。

どう描けばいいのか。いや、そもそも何を描けばいいのか。

想像力がどこかに行ってしまったのだ。


想像力の袋小路に入り込んでしまった画家は、自分を見つめ直すため、

愛車のルノーに乗り込んで旅に出ます。


ルノーは行き先を知っていたのでしょうか。車が行き交う幹線道路から人気のない横道へ入ると、狭い崖道を抜け、ただひたすらに進んで行きます。

たどりついた先は、海辺に立つ古びたホテル。

扉をくぐると、脇には大きな宿帳が備えつけられており、その上に一羽のオウムが。オウムは甲高い声で鳴きました。

「迷い人のかた!宿帳にお名前を!」

勧められるまま、ここに滞在することになった画家でしたが、やがて風変わりな宿泊客たちに出会います。


片足の船乗り。車椅子に乗った白いドレスの女性。色彩を持たない、灰色の小男・・・。

オウムは言う。

「ここのお客さんはね、みんな、なにかをさがしているみたい」

彼らもまた、迷い人なのだろうか。

そして、自分が探すものは、ここで見つかるのだろうか。




この物語の主人公は画家(モデルは絵を描いたインノチェンティ自身)ですが、自分が進むべき道を見失ってしまうという時期は、誰にでも起こりうるものです。

特に中年の域にさしかかった年代にとっては、思い当たる方も多いかもしれません。夢中で仕事を続けてはきたものの、ふと「このままでいいのか?」と考えたり、たくさんのしがらみやプレッシャーに押しつぶされそうになったり。

そんなとき、助けになるのは何でしょう?友人や恋人、家族でしょうか。



画家が出会ったのは、(おそらく)彼が少年時代に熱中した昔の小説や映画などの登場人物たちでした。

片足の船乗りは『宝島』に登場するシルバー。

ドレスの女性は人魚姫。

このほかにもサン=テグジュペリやメグレ警視、果ては白鯨まで登場します。

みな、画家と同じように何かを求めてホテルにつどいました。

彼らは助け合うわけではありません。

ひととき滞在したあと、再び別の地へと去って行くだけです。

やがて画家もまた、ホテルを後にすることになります。

なくした想像力をここで見つけたわけではありません。

なぜなら、それは誰かから与えられるものではないからです。


ここでのメッセージは、シビアな言い方ですが、なくしたものは結局のところ、自分で見つけるしかないということです。

でも、決して一人ではない。自分がこれまで出会ってきた人、経験した物事は、厚い層となって胸の奥に積み上げられているのです。それらの”財産”は決して無駄にはならない。

探求を止めない限り、河の水がやがて海にたどり着くように、いつか自分の居場所にたどり着けるはず。

物語は、そんなエールを贈ってくれているような気がします。


この作品ではインノチェンティが影響を受けた人々が宿泊客として描かれていますが、あとがきでは「他の誰でもかまいませんよ」と記しています。

そう、想像のペンは、読者にも委ねられているのです。



あなたが泊まるラストリゾートの宿泊客は誰ですか?

心の中にある宿帳をそっと広げるのも楽しいかもしれませんよ。


若かりし日のヘミングウェイによる超短編小説――『in our time』

評価:
アーネスト ヘミングウェイ
ヴィレッジブックス
¥ 1,050
(2010-05-20)
コメント:文豪ヘミングウェイが限定出版した、若き日の野心に満ちあふれた散文集。

 アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイ作『in our time』を読みました。


散文スケッチとも形容できる掌編を集めた、いわば超短編作品集です。

初出は1924年。当時ヘミングウェイが滞在していたパリで、170部限定で発表されました。

この小品を土台にして翌年、彼の代表作『In Our Time』(※日本では新潮文庫より『われらの時代』として刊行)が生まれることになります。




本書では戦争や闘牛を主な題材に、ある風景またはひとつのエピソードをきわめて乾いた視点で描いています。例えばこんな風に。


―――――――――――――


僕たちはモンスで庭園にいた。若僧のバックリーが偵察隊と一緒に川向こうからやって来た。僕が初めて見るドイツ兵が庭園の塀を這い上がってきた。僕たちはドイツ兵が片脚を塀の上にかけるまで待ってから一斉に彼を撃った。ドイツ兵はものすごくたくさん装備をつけていてひどく驚いた顔でどさっと庭園に落ちてきた。それからさらに三人が塀のもっと向こうの方を這い上がってきた。僕たちは彼らを撃った。みんなそんなふうにやって来たのだ。〈本書より第4章を引用〉


―――――――――――――


どこまでが事実であるかは推測するしかないし、さして重要なことではないかもしれませんが、戦争に従軍したことのあるヘミングウェイの実体験が色濃く表れているのは指摘するまでもない。


そこには人を殺す、あるいは殺されるという「死」がすぐそばにせまっている自覚は、一見したところほとんど感じられません。敵が現れる。引き金を引く。ただそれだけ。


全部で18章の作品の多くが、こうした無表情に覆われています。

文体はぎりぎりまで研ぎすまされ、感情の揺れ動きなどは極力排し、事実のみを寡黙な職人のようにこつこつと積み上げているのが印象的です。


もちろんこれは意図的に行われていることで、当時25歳だったヘミングウェイの文章表現に対する挑戦心に満ちています。

まるで写真に撮るように、目に見えたものだけを切り取る。その一瞬を脳内の網膜に、鮮烈に焼きつける。

まるで屠殺人が切り分けた肉のかたまりを放り投げてきたように、受け取る者にとってはずっしりとした重みが伝わってきます。

そこに何を見出すかは読者の自由。あとは好きにしてくれ。

作者のそんな姿勢が透けて見えるようです。


しかし、多くを語っていないからといって、そこに意味がないということではありません。むしろ言葉が少ないからこそ、そこには読み取るべきもの、想いを馳せる余地が十分にあると言えるでしょう。


もっとも、当時斬新だった(はず)の試みは、その後の時代で模倣され、さらなる進化を遂げているということもあり、現代において読むと、いささか新鮮さに欠けるきらいもあります。まあ、この作品群をあくまで実験的な散文ととらえるならば、的外れな意見でしょうが。


いずれにせよ、ヘミングウェイという人物のスタンスを知るには絶好の一冊であることは確か。

若き作家の野心に満ちた文章の数々。その萌芽は、確かにここにあるのです。


幻想文学の大家マッケン。憧憬溢れる描写は健在も、ちと暴走気味?――『輝く金字塔』

評価:
アーサー マッケン
国書刊行会
¥ 1,835
(1990-06)
コメント:歴史の長い、汲めども尽きぬイギリス文学において、アーサー・マッケンはひとりのマイナー詩人である(J.L.ボルヘス)。幻想文学の大家マッケンの中編作品集。

 英国の作家アーサー・マッケンの作品集『輝く金字塔』を読みました。


刊行は国書刊行会。


・黒い石印のはなし

・白い粉薬のはなし

・輝く金字塔


の中編3作を収録しています。



奇妙な印のついている黒い石を手に入れた、英国人の教授グレッグ氏がたどる運命を女性秘書の視線から描く「黒い石印のはなし」を皮切りに、近所の薬剤師から処方してもらった薬を服用し続ける弟の変化を姉が振り返る「白い粉薬のはなし」。

表題作の「輝く金字塔」では、シャーロック・ホームズを彷彿とさせる好奇心旺盛な英国紳士が片田舎で起きた事件の謎を追ううちに、信じがたい出来事を目にする――。


幻想文学の大家マッケンの名に恥じぬ、妖しさと不思議に満ちた物語です。とりとめもない会話を切り口に、徐々に話を進めていくあたりなどは、読む人によってはスピード感が足りないと感じるかもしれませんが、こういった書き方はいかにも英国の古典といった趣で、そのセピアがかった文体は慣れてしまえば、かえって憧憬溢れる世界観を味わうことができるかもしれません。



本作品集に序文を寄せたホルヘ・ルイス・ボルヘスはこう書いています。


彼(マッケン)がたんに鬼面人を驚かすことだけをねらってものを書いたことはなかった。彼が驚異を書いたのは、自分が不思議な世界の住人であることを自覚していたからである。〈序文より引用〉



秘密結社に身を置き、魔術を実際に行ったこともあるマッケンは、

確かに実際に片足を”そちら側”へ突っ込んでいた面もありました。

ですがマッケンの真骨頂は、現実世界を描くその情景描写にあると思います。

特に英国の片田舎にある自然を緻密に書き出すと、読む者の脳裏に風がそよぐ森が浮かぶかのようです。

それはマッケンが少年時代を過ごしたウェールズの風景です。

時代や国籍を超えて、読み継がれていく過去の記憶。それこそ、マッケン最大の魔術かもしれません。



ただ、今回の3作品については、やや抑えが効いていないかな、と感じました。

あやかしの世界というのは難しいです。書けば書くほど、陳腐になりかねない。個人的には、あえて光を直接的に当てず、読者の想像力に任せるというスタンスが良いのではないかと思うのですが、今回の作品群ではマッケンはいささか書きすぎたといった気も。

気持ちは分かるんだけどなあ。マッケン、ちょっと暴走気味?


世代超え、漫画がつなぐ子ども心――『猿飛佐助』

評価:
杉浦 茂
筑摩書房
¥ 756
(1995-07)
コメント:昭和レトロな雰囲気が楽しい、杉浦茂さんの漫画です。頁を開けば、子どもの心がよみがえる・・・。

 杉浦茂さんのマンガ『猿飛佐助』(ちくま文庫)を読みました。


昭和28年に刊行された『猿飛佐助』、31年の『続・猿飛佐助』をまとめたものです。


真田十勇士の一人で、日本一の忍術の大名人さるとびさすけの活躍を描いた作品ですが、この忍術というのが実に奇想天外。動物や樹などに化けたりするのは当たり前で、ときには謎の生物に扮し、ちゃんちゃんこを着たカエルにおんぶされたり。雲で空を飛んだかと思えば、戦闘機に乗って機銃掃射、果てはUFOまで登場。まあ、はっきり言って何でもありです。


ライバルとなる忍者の名前に至っては、

「ふうせんガムすけ」

「こうもり小僧」

「うどんこプップのすけ」

「コロッケ5えんのすけ」

「じゃがたらいもたろう」

など、思いつきでつけたような名前がずらり。


このヘンテコな相手とのユーモラスでときにシュールな忍術合戦が繰り広げられたかと思えば、さるとびと仲間たちが諸国を漫遊する様子を面白おかしく、のんびりと描いています。


物語としては、高野に隠れていた真田幸村が大阪城に砦「さなだ丸」を築くまで、そして徳川との戦いに赴くまでのひとときが主となっています。

真田幸村たちが辿ることになる史実を考えると、可愛らしいキャラクターたちの背後に忍び寄る影を感じるような気は・・・まったくしません(笑)。



あくまで楽しさを追求した昭和レトロな作品なのですが、不思議と今も色褪せない魅力をたたえているのです。


おそらく背景にあるのは、昨今の少年少女向けの作品が、どんどん複雑になってきていることもあるのでしょう。戦後の復興もまだ道半ばだったこの時代。娯楽に飢えていた当時の少年少女に向けて、「子どもたちを楽しませたいんだ」という作者の気持ちがまっすぐに胸に届いてきます。




昭和20年代後半、当時の少年少女たちはこの作品を熱中して読みふけったそうですが、現代においてなお、頁をめくるときの僕たちは、つかのま少年少女にかえるのです。


たとえ世代が変わっても、社会が変わったとしても、子どもの心というものはいつも胸の奥底に眠っているのかもしれませんね。



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